matatakaka’s diary

行動記録が主なので、更新日とブログ記事の日付が連動してないことがあります。。

宇那禰神社

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鳥居

『祭神は桓武天皇室町時代以来の古社であり、芋沢村の「安永風土記」によれば、はじめ郷六に所在したという。当社に伝わる中世の棟札には、いずれも国分家臣・郷六氏と関係があるとされる施主の名が記されており、郷六氏の氏神であったと推定される。また現在地に遷座された年代は不明ながら、棟札の記述から、永禄5年(1562)よりも後のことと考えられる。現本殿は素木造一間社流造。屋根はこけら葺で三方に勾欄付きの縁をまわし、全面に向拝と浜床がつく。全体は覆屋によって保護されている。建築された時期は、木鼻や蟇股などの形状や、虹梁の彫刻などの装飾の様式から見て、江戸時代初期から中期頃と考えられる。』

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コロナ対策済

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芋沢明神の杉

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拝殿

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本殿

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庚申塔(千手観音?)
拝殿にて手を合わせておりましたら、入口で出会った参道の草取りをしていた方(宮司さんの奥さん?)がわざわざ手を止めて来てくれまして、

『ここの千手観音さま?はスゴいからご縁つなぎしていったら良いよ!』

と猛プッシュされました。どうもありがとうございます!!千手観音さま??

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松尾神社

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熊野神社

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稲荷大明神

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御神木

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御神像がた

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石峰山石神社、葉山神社(石巻)

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雄勝湾を望む

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社号標

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鳥居

『石峰山、石(いその)神社は石峰山頂(352m)の大岩を御神体とし、樹齢600年の大杉の古木が数本ある。往古は石峰権現社と称し、仁寿二年(852)国より従五位下を贈ったと、三代実録(文徳実録)に記されている。前面の社は、葉山神社で石峰権現社の別当寺として祭られた薬師堂で、鎌倉末期の創祀と伝えている。祭られている薬師如来像は運慶の作と伝えられ、随神十二神将室町時代の作である。本殿には、寛文元年(1661)の板書誓文や元禄十二年(1699)及び宝暦年間(1751~1763)の絵馬がある。代々の伊達藩主が参詣され、境内には二代忠宗公手植と伝える「ひいらぎ」の古木二株があったが、一株は昭和五十五年十二月の暴風雨の際、石峰山頂の杉の古木二本と共に倒れた。』

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鳥居

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拝殿

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扁額

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本殿

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鳥居

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末社

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祖王神社 由緒
神亀年中に一艘の船が牡鹿郡の出島近海に漂流して来た。牡鹿郡王浦浜より漁に出ていた彦右エ門という者がこれを見つけて漕ぎ寄せて見ると弱りきった一人の若者が乗っていた。彦右エ門は、その船を引いて王浦浜の宮郷浜という地に船を着けその若者を上陸させた。聞いてみると、その若者は朝鮮国の王子で、七歳の時に父親である王の枕を越えた科によって流された事が分った。王子は村人に胡網という網を作り漁をする方法を教え村人の生活を豊かにして王さま、王さまと敬われながら年月を経て晩年になり、旧桃生郡王浜の台に移り住み、網漁の漁法を伝え、祖神として崇められた。現在の大浜の地名は、往古「王の住んだ所の意」が由来であることが、風土記書上により知られているが、王さまを埋葬した時に王の頭が大浜を向き王の足が尾浦を向いており王の字は畏いというので「大浜」と「尾浦」に改めたという。葉山神社の境内前方の丘の上に御墓所があり、平成二十年に此の地に御分霊社が建立され御鎮座された。』

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祖王神社

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鳥居

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参道1

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参道2

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参道3

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参道4

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御神馬の足跡石

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足跡石

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足跡石(別カット)

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鳥居
この奥に御神体が御座します。
出羽の湯殿山もそうなんですが、お言わず様ってありますよね。

御神域で見聞きしたことは他言無用というルールです。

ここの場所はそういう場所ではないのでしょうけれど、そういった気持ちにさせられたというか。
写真は撮れませんでした。※神社HPや、他の人のSNSなんかではしっかり御神体写っております!
明治までは、聖域として女人禁制でもあったようですし、初心者には結構キツい登山でした。。。
しかし、苦労しても登って良かったと思う場所です。

海抜0m近辺からスタートして352mですので。。参道はあんな感じだし。。

太白山⇒(https://matatakaka.hatenablog.com/entry/2020/04/26/110000)に行ってから、リュックを重用してます。
それから、フツウのスニーカーでチャレンジしましたが、道が悪いパターンだと滑ったり、固い石踏みでダメージ受けたりしますし、下りではまあ足先が痛くなります。
やっぱ必要なんだな。。あれが。。

触らぬ神にタタリなしといわれますが、本当にそういうことなんだろうなと感じます。
以前であれば、そもそも神社巡りしてないのですが、たとえ神社に行ったとしても今のように拝殿の横をするっと行って裏を覗いてみたり、御神体(自然の)などに触れたりしてないはずなのです。
どこに行っても失礼ないようにお取り計らいいただいてると信じて、少々すみませんということで、そういうことをしてるわけですが、本心、畏れる気持ちが無くなったわけではなく、やはり超然たるものに畏敬の念があり、現場で畏怖を感じることもあるわけです。※神サマは怖い側面も当然お持ちと思っておりますし、実際そうなのでしょうから。


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神籬

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神籬(別カット)

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八雲神社(石巻)

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社号標

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扁額

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拝殿

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本殿

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槻の清水

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『むかし、この地を通った旅人が持病の癪に苦しみ、ふと側の槻の大木の窪みに溜まる清水を見つけ、これを口にふくみ且つは患部を浸す程に痛みも去り、快く大いに喜んだ旅人は、行く先々で槻の霊水の功徳を説いた。やがて、近郷近在から人々相次いでこの地を訪れてはお宮参りと称する参詣者が跡を絶たなかったという。元和元年(1615年)当社二十世法楽院慶順光盛が、折から当地方を襲った疫病の大流行を絶やさんとして、出雲大社より勧請建立した牛頭天王宮は、この槻を神木として祭りその願いを果たしたと伝え、明治三年近郷五十数社を合祀して、八雲神社と改めた後の今日迄、善男善女の信仰を集めている。この槻は当社創設の頃、既に高さ約16m、根廻り約12m、枝葉36m四方を覆うと記録されるほどの大木であったが、大正三年、根幹に大きく空洞が生じ、枝葉枯れ果てたため、地上2m程残して切り取られたがその幹から東方に一枝を生じ、年ごとに茂りを加え、あたかも霊泉のしるしを見るようで、訪れる人々の目を見はらせるものがある。』


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古峰神社遥拝

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遥拝所となっているようですが、階段を上り川向うを眺めると山が見えまする。
この山頂には古峰神社ではなく地図上では八雲神社があるようです。
里宮も八雲神社ということはそういうことなんでしょう。では古峰神社はどこから出てきたのでしょう。
ともかく写真で見ると魚っぽい狛犬がいそうなので、機会があったら行ってみたいです。


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鹿又八幡神社(石巻)

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社号標

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鳥居


八幡神社の由来 「桃生郡深谷鹿股村風土記御用書出」(安永五年1776年)に、「誰勧請と申義井年月共二相知不申候一頃退転仕御社地斗御座候処本町屋敷源兵衛先祖肝入高橋美濃と申者慶長四年御社建立仕候由甲伝候事」とあり、いつ誰が勧請したかわからず、その後、《社地》ばかりになっていたのを慶長四年(1599年)高橋美濃が社殿を建立したと伝えられる、と記されている。』


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扁額

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拝殿

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本殿

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藤原氏女の碑

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説明板

なんだかどこかで似たようなモノを見た記憶があるなと思ったら。
matatakaka.hatenablog.com

梵字が彫られている感じも同じですし、この年代(鎌倉時代)の板碑はこういうスタイルなんでしょう。


『虚空像菩薩 虚空像菩薩は、広大な知恵を授け、無限の福徳を生み出すといわれ、昔から多くの人々に信仰されてきた。境内に鎮座する福一万虚空蔵菩薩享保十三年(1728年)の建立で、五仏の冠をいただき、頭の背に円光のある半伽像。左手に持つ蓮華宝珠は清浄な心の中の智恵を表し、右手は与願印で、智恵を求める衆生のすべてにこれを与える仏の大きな慈悲をあらわしている。当地区では代々観音講を終えた婦人達で虚空像講を組織し、春秋二回例祭日を定め崇拝すると共に、家内安全、安産祈願を行ってきた。また、虚空像菩薩の使者は態である、との言い伝えにより、北上川流域には虚空像菩薩を祀る社寺が多い。なお、人一代の守り本尊は十二支別に定められているが、虚空像菩薩は丑年・寅年生まれの守り本尊でもある。(縁日は毎月十三日)』

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朝日山計仙麻神社(石巻)

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社号標

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鳥居

大鳥居をくぐって駐車場に到達し、いざ登っていこうとすると見えてくるのは桃太郎神社の文字。

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桃太郎神社

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内閣総理大臣岸信介書と彫られています。
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裏側
裏に歌が彫られてますが後半よくわからんです。
「桃太郎ここに生まれしふるさとの○○○○○○○旭山」?

なにゆえ桃太郎神社があるのかというと、この地域も近年の市町村合併で今では石巻市ですが、以前は桃生郡河南町だったという地名に由来するのではとの説があります。
(全国的にですけれど、市町村合併等で旧地名がどんどん失われていく現状があり、むかしのことを辿っていく作業を難しくしていると思います)


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写真の見た目以上にキツい勾配

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景観1

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景観2

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鳥居

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扁額

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拝殿

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本殿

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八幡神社

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龍口神社(石巻)

看板に惹かれ立ち寄った神社。


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鳥居

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鳥居

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深谷前谷地旧記によると、江戸時代の初め頃、この村の百姓、七右衛門が柴刈りに龍ノ口山に登り休んでいたところ、夢枕に気品の高い老人が立ち、龍神宮として祀れば、守神となり幸福を授け、疫病を除き、安産を第一に守護するとのお告げを受け、七右衛門夫妻は「赤飯、神酒」を供えて、祭事を取り行ない祀ったのがはじまりと言い伝えられている。以来、五穀豊穣の神、安産の神として、氏子をはじめ近郊の崇敬者の信仰が厚く、明治五年三月には、旧村社に列した。境内には、龍神の詞、石灯籠、手洗鉢、石鳥居、狛犬などがあり、歴史を偲ばせる。祭典には稚児により、春は花御膳行、秋は流鏑馬の神事が継承され、現在に至っている。』


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なんというか、、、猿っぽいというか。


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鳥居

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支倉常次氏銅像
大正時代に建てられた拝殿が老朽化していたため、社殿の新築をはじめ私財を投じて境内諸々の造営、拡張といった寄進をされたそうです。

コチラの子孫の方・・?

また、この方は神奈川県藤沢市にある龍口寺に墓所があるようで、お墓にもご夫妻で同じ銅像が見られます。
龍口神社の近くに龍石寺という寺がありますがここは真言宗、藤沢の龍口寺は日蓮宗です。

なにか関連ありそうですが、ちょっとわかりません。

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のっぺりした狛犬

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扁額

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社殿

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八雲神社

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石神社

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愛宕神社

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奥之宮


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御神手洗瀬(おみだらせ)
この水は飲めません。


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通行止
登頂不可でした。